引っ越しの準備が始まり古い新聞の切抜きがありました。

常吉さん切抜き

常吉さん切抜き

祖父常吉の記事です。

この古い新聞の切抜きで創業は文久年間であったことがわかりました。文久は、1861年(文久元年)から1863年(文久3年)で今から約150年位前に、創業者、信四郎で駕籠屋が本業でつづらの製造を始めたようです。文久2年は、坂本龍馬が土佐藩を脱藩、寺田屋騒動も起きた年になります。

二代目、久蔵 三代目、武家出身の岩井平五郎、四代目、岩井常吉五代目、岩井太一 六代目、現在の岩井良一と代々つづらを作り続けております。

創業当時は人形町通りの昭和5年くらいにあったヒゲ薬局の位置にいましたが、現在の場所、甘酒横丁に店を構えたのは、明治十九年の大火に類焼して移転してきました。

みつ豆や 一富士さんの広告も載ってます。

以下は、新聞の切り抜きの一部

老店舗巡里

岩井つづら店の巻

人形町甘酒横丁のつづらやと云えば知らない者はない程古くて有名である、店主は、岩井常吉氏、創業は、文久年間で祖先の名を信四郎と云って駕籠屋が本業であつたが何時しかつづらの製造を始めた、二代目久蔵、三代目が武家の出身の岩井平五郎現代が常吉氏で四代目である。創業当時は人形町通りの今のヒゲ薬局の位置にゐたが、明治十九年の大火に類焼して現在の位置に移転した、当時人形町は六間道路ですぐ裏には桐畑があって夜になると三、四人の人通りがある位でさびしいものであつた、その当時は一般に生活程度も低くかったので、日に二、三十銭の商ひがあったが働くことは朝の五時頃朝食を済ませて夜るまで働いたものだ、現今一圓以上で売つてゐる小さなつづらが三銭位であった当時の地代は表坪が三銭裏坪二銭位であつたが、それでもなかなか地代は高いと思つた、このつづらやの店が今日まで維持し益々振興しつつあるのは、丈夫なつづらで評判をとつたからだ、創業者以来累代真面目一点張りで心から力のはいつたつづらを製造してゐたから好評を博した、それが為めつづらやは他にもあるが、岩井のつづらを使つて見ては長持ちする点で他と比較にならないのだ、京大阪へ移転した人でも東京へ来たついでに岩井のつづらを買つて行くと云う風で市内の人は直ぐ近所に同じつづらやがあつてもわざわざ買いに来る程で一度買つた顧客の信用は益々厚くなる、その信用は愛素があるからでもない安いからでもない、無愛素で値段も高いが長年使用して初めて安いことがわかるのだ、<以下、省略>

 

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